アートセラピストの「アートと暮らす」

アートセラピストとして活動するクエストのスタッフが現場の声をお伝えします。アートセラピー情報もタイムリーにお届けします。

「だけど、解答集はないんだなぁ」


こんにちは、マッキーです。

先日、主宰している親子のアートワークセラピークラスで、
「もし自分が画家だったら、どんなものを描きたい?」
そんな話をしていたら、
ピカチュウ!」とか「プリキュア!」とか「そらともりとうみ」とか。

すぐにいろんな声が飛び出してきました。

まだ5、6歳の子ども達。

この迷いなく、自分のことを決められる感じ。
すごくいいなーといつも思います。

f:id:quest-art:20200222143420j:plainこれはアンパンマン

でも、大きくなるにつれて、
私たちは何か閃いても、
“これは求められているものと違うかも”と躊躇したり、
そもそも閃かない…、
つまり自分が何をしたいのかがわからなくなってしまう、なんてことも。


私自身、学生の頃や、社会人になってからもしばらく、
そういう時期が結構ありました。
いや、今もあるな。。と思うのです。


ただ、クエストに学びに来て、
自己分析のクラスを受けた後のある晩、
歯を磨きながら洗面所にいた時、ふと思ったことがあります。

「今までずーっとこたえを探していたんだなぁ。
まるで、算数のドリルのように、解答集に照らし合わせたい気持ちが私の中にはずっとあったなぁ。」

でも、その時実感してしまったんですよね。

「だけど、解答集はないんだなぁ。」と。


そして、その時から少しずつ、
「こたえはなくて、自分で決めていい」
ということを練習しているような気がします。



でも、考えてみたら、人生は、自分で決めることの連続。

進路とか、大きなことばかりではなく。

乗る電車も、どの車両に乗るかも、どこに立つかも。
階段を上るのか、エスカレーターを使うのか。
あの人に話しかけるのか、黙っているのか。

意識していなくても、毎瞬毎瞬私たちは決めています。


そして、実はその決断によって、見える世界はいかようにもなっていく。


ちょうど一昨日、電車に乗っていた時、
車内に流れる広告をぼーーーっと見ている自分に気がついて、
そんな自分はすごく疲れていて。


情報がすごく入ってくるなー、
なんだか頭がくらくらするなーと思っているのに、
無意識にずっと次から次へと流れていく広告を見ている自分がいました。


そんな時に、ふと、

「あ、自分で決められるんだ!」と思って、

広告を見るのをやめて、窓の外に視線をうつしたら。


遠くには富士山が見えるし、
雲が広がっている様子がきれい。


“あ、気持ちがいい!”そう思いました。

 

そう。
私たちはもっともっと自分で決められる。


決めるっていうと、責任も発生するし、
しんどいことのように感じてしまうかもしれないけれど、
もしかしたら、すごくすごく自由なことなのかもしれない。


そんなことを教えてくれたのが、
アートワークセラピーのクラスに集まる子ども達。

子ども達が、(おそらく決めるという意識すらなく)決めて表現していった世界があまりに豊かだったから。

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そして。
私が洗面所で腑に落ちたのは、このクラスを受けた後のこと。
アートセラピストになるための講座ですが、同時に〈自分とはなんぞや〉をアートや理論を通して、トコトン見ていく、今の私の生き方に大きくを影響を与えているクラスでもあります。

4月からスタートしますよー!

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説明会も開催中です!

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