世界はもっと広いし、自分はもっと大きい。
こんにちは、mackeyです。
今は桜が満開ですが、ここでは紅葉の木の写真を。
これは実家にある木で、
祖母が私が生まれた時に植えてくれたものです。
気づけば、私よりずっと背が高くなっていて。
うまくいかない。
なんだか疲れたな。
そんな時、私はよくこの木に触っていました。
先日も実家に帰った時に、スリスリと。
堅くなった幹から感じる強さや
その奥に仄かに感じるあたたかさ、
もう亡くなった祖母のこと、
一瞬で大きな感覚に包まれます。
触っていて、
人にはこういう時間が必要なんだなーと感じました。
日常ではつい“自分が!” と躍起になったり、
あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ、と
目の前のことでいっぱいになってしまうこともある。
でも、世界はもっと広いし、自分はもっと大きい。
そんなことを思い出す時間は、
吐いたら吸う呼吸のように、
当たり前のように私たちに必要な気がします。
先日、ある本を夢中で一気に読みました。
『いのちをよびさますもの』という本。
(その日付箋がなかったので、紙ナプキンをちぎって挟んでいたら紙ナプキンだらけになってしまった)
序章の「すぐれた芸術は医療である」ということば、
多くのアートセラピストが惹きつけられるはず。
「芸術」や「創造」といったものが、
生きていく上でどれほど大切なものなのか。
そのことが溢れるほど書かれています。
クエストの「アートワークセラピー講座」で
伝えていることととても重なる内容でした。
(著者は、在宅医療や山岳医もつとめる心臓専門のドクター)
私が目指す医療もまったく同じだ。人の全体性を取り戻すこと。それは医療の観点から見ると養生法となり、芸術の観点から見ると創造行為になる。(P35)
(イメージは)未知の自分から現在の自分への手紙であり、さまざまなメッセージを含んだものである。それは真実が記された劇薬のような手紙かもしれないが、まず受け取ることが大切なのだ。自分の内的イメージを中心に据えて生きていくことは、本来の自分自身とのずれ幅が小さくなるから、自分らしく、自分の内なる声に正直に生きていくことに繋がる。(P108)
葛藤や矛盾をそのまま自分の中に同居できる状態こそが「ひとつ上の視点に立つ」というイメ―ジに近いだろう。(P157)
分ける、区別する、切り離す、
よりも、
全体、繋がり、同居。
今の私にはそんな捉え方がとても響きました。
それは、私が木と繋がったり、
祖母を私の中に感じたりする、
あの感覚ととても似ています。
実際に、その感覚は、
私に“いのち”をよびさましてくれます。
そして、
その感覚は、アートをしている時にも
よく感じるものでした。
私たちは、
「いい状態が〇。それを続けましょう」
「病気や落ち込みは×。なので治しましょう」
とは思っていません。
アートセラピーで体験できることは、
そんな自分も、あんな自分も、
どんな自分も受け止められる、
そんな自分を育てていくこと。
そう、まるで、
私にとってのあの木のような存在を、
自分の中にも育てていくように。
だから、木に会いに行けない時にはアートをしよう。
そう思うのです。
最後に桜も!
mackey
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